『フェーズフリー』とは「生業の生態系」を考えること

株式会社 アルセッド建築研究所 代表取締役 所長
一級建築士

三井所 清典さん

フェーズフリー協会代表理事の佐藤唯行(以下:佐藤)と、フェーズフリーアワードの審査委員を務める、株式会社アルセッド建築研究所 代表取締役 所長で一級建築士の三井所清典さん(以下:三井所さん)による『フェーズフリー』に関する対談が行われました。建築家の視点から三井所さんが捉える『フェーズフリー』とは?

※対談はマスクを装着し行っておりますが、撮影用に一時外している場合がございます。

写真・文:西原 真志

三井所さんとの対談-1

アルセッド建築研究所の会議室で対談を行う三井所清典さん(左)と佐藤

すぐに連携できる『フェーズフリー』な関係が、地域活性化にもつながる

―― 佐藤
三井所さんには『フェーズフリー住宅デザインコンペ』でもご一緒いただいています。元々は、私どもが突然「フェーズフリーをやりたいんです!」と三井所さんの門を叩いたときに話をじっくり聞いて下さって、「この活動いいね。応援するよ」と言ってくださいました。そのときと現在のお気持ちが同じか分かりませんが、どのようなところに共感いただいたのかを教えていただけませんか。

―― 三井所さん
東日本大震災のあとに、防災をどうするかということがずっとテーマになっていました。ちょっと近い概念として「事前防災」とか「事前復興」という言葉ができて、あらかじめ準備しておくといざというときに困らないのではないかというのがありましたけれど、その先を行っていると思ったんですよ、『フェーズフリー』がね。

―― 佐藤
そのように感じて下さったのですね。

―― 三井所さん
日常でいい生活ができて、その日常の質の高い生活が、非常時にすごく役に立つのは何かということを考える。これは自分にとって、全く新しい概念だったんです。新しい概念は、何かを生み出すに違いない。イノベーションだと。これは重要な提案をしている若者が来たな、という風に感じました。これは大いに付き合いをしなくちゃいけないと。

―― 佐藤
三井所さんは「自分は最初プレハブ建築からスタートした」とおっしゃっていましたが、現在は「地域に根ざす建築」「地域性の建築」というものを重視されています。『フェーズフリー』にも、その地域性が関係すると指摘して下さいました。

―― 三井所さん
新潟県長岡市にある山古志の復興住宅に携わったときでした。復興のための委員会ができたのですが、その中に「プレハブならすぐ建てられるし復興しやすい」と言う人もいました。
でも私はそうではないと思ったんです。復興住宅をつくるのが目的なのではなく、人々の生活や地域のさまざまな生産活動、つまり山古志という社会を復興させることが大切なのだと。さらに建築の視点で言えば、プレハブを建てることで職人や技術の必要性が薄まり、30年後の大工さんや工務店の人材や技術までを失うことになりかねない。

―― 佐藤
そこまで考えて?

―― 三井所さん
そうです。考えると大工さんや職人さんは社会にとって重要な構成員なんです。お医者さんのいない無医村のように、住宅や建築もそのようになってはいけない。彼らや紡いできた伝統が残る復興をしなければならないし、その努力を少しずつ積み重ねながら大きくしていけばいいのだと。

―― 佐藤
これまで三井所さんのおっしゃる「地域に根ざす建築」という言葉から、例えば富山県五箇山のような環境に合う建造物をイメージしていましたが、見た目のものだけでなくさらに大きな広がりがあるのですね。

―― 三井所さん
環境的な視点や、社会的・文化的など、あらゆる面から建築を考えるということですね。

―― 佐藤
建築家というのは、そこまでいろいろと広く考える職業なのですか?

―― 三井所さん
誰がなにを考えても良いのではないかと思っているんです(笑)。

―― 佐藤
ある建築物をつくるのに、どんな様式で、どんな技術で、どんな環境に合わせてといったことやさまざまな課題に対する検討要素がありつつ、さらにそこにどんな顔というかメンバーがいるのかというところまで目を向ける。

―― 三井所さん
私は1980年代の半ばから提唱しているのですが、それを「生業の生態系」と呼んでいます。住宅や建造物を建てるのは、建築家・設計者・工務店・ゼネコン・職人のどれかだけではなく、その全部なんですね。たとえ名前が出なくても、いろんな人たちが関連して建築という行為が行われる。そこがとても重要だと思ったのですね。

―― 佐藤
要は、顔の見える範囲でつくろうということ?

―― 三井所さん
極力ね、顔の見える範囲で。よく川上・川中・川下と表現されますが、その関係性を自分たちで整理して、そこで不足している課題は何か、それをどうしたら解けるのかを考えたい。
日常的に顔の見える関係をつくっていくことが重要で、そうするといざという時にすぐ連携する関係ができる。まさに『フェーズフリー』ですよね。
自分たちが課題解決に向けて何をすべきかを理解した上で、主体的に行動していく。そんな渦が日本のあちこちで増えていったら、地域の活性化につながると思っています。

ずっと提唱してきた「生業の生態系」というものを大切に考えたい

三井所さんとの対談-2

三井所さんは、新潟・山古志や福島・宮城などでの災害復興にも尽力されています

―― 佐藤
その「生業の生態系」を考えたきっかけはどのようなものだったのですか?

―― 三井所さん
それを聞いてくれるのですか。話は長くなりますよ。有田に行く前の私は、それまでにない独創的な現代建築を構想し、提案するのがあるべき建築家だと思っていました。それが有田の焼物の歴史、伝統の技を引き継いでいる人々の気質や生き様、まちなみの有様を見て、建築家像が揺らいだのです。

―― 佐藤
どのように揺らいだのですか?

―― 三井所さん
有田焼は伊万里あるいは古伊万里とも呼ばれ、江戸初期(1616年)から360年(当時)の歴史を持つ伝統的な磁器の焼物で、人々は職人的に伝統の技を継承しています。しかも、つくった磁器は有田の商人が国内だけでなく、欧米にも輸出しているのです。窯元と商人はつくり手と売り手として連携し、町こぞっての産業として生業を続けています。
つくり手は土をつくる人、土を器の形にする人、絵付をする人、それも線描きをする人、面を塗る人があり、釜を焚く人、薪をつくる人、木箱やダンボールの容器をつくる人など、さまざまな技をもって役割を果たしています。

―― 佐藤
確かにそうですね。

―― 三井所さん
商人も卸商、小売商、買い手に直接焼物を届ける直売といわれる人など多様です。そういったさまざまな生業によって有田焼が産業として成立しています。さらに、加飾といわれる絵付職人は伝統を守り、破り、そして豊かにすることで伝統が維持されている。そういった、有田焼の「生産の生態系」に気づいたわけです。

―― 佐藤
「生産の生態系」ですね。

―― 三井所さん
有田焼をはじめ、有田の自然や産業、歴史や街並、環境や風土などを知る中で、ではそこにどのような建築がふさわしいかという課題が生まれたのです。有田らしい姿の建築、そして後に続く有田の現代建築のモデルとなるプロジェクトに10年ほどにわたって取り組みました。その間に建築・まちづくりに関わる多くの人々を認識するようになり、建築における「生業の生態系」と「その保全」を強く意識するようになったのです。

―― 佐藤
「生業の生態系」を意識したのは、有田でのプロジェクトがきっかけだったのですね。

―― 三井所さん
そうです。有田では、街全体を見たときに、有田における現代建築とはこのような建築でなくてはいけないと、街の人にも理解してもらえる建築にしようと決心しました。景観上はもちろんのこと、街の歴史や文化、さらには地域の人たちの生業とか気質(かたぎ)とか生き様といったことまでしっかりと考慮に入れる。
デザインの発展とは、伝統を破るのですが、破った結果がその元々の様式の発展につながるもの。だから伝統は維持されているんです。破って維持される、破って豊かになっていくということを実感しました。それが「生業の生態系」という言葉に詰まっているのです。

―― 佐藤
以前お聞きしたのですが、その有田のプロジェクトの際に「グローバル」「スタンダード」「普遍的」と言われるような建築への違和感を感じたと。

―― 三井所さん
そのような建築物を、有田に置いた場合の違和感ということですね。それはつまり「生業の生態系」の理に適っていない、伝統や様式の継続的な発展がないからですね。

―― 佐藤
有田のみならず、日本中のさまざまな場所に多彩な文化があって、それが日本の総体を成している。そのときに、壊してしまうような画一的というか、スタンダードだからという理由で採用された建築に違和感を持ったということですね。

―― 三井所さん
標準化というのは、そぐわないだろうということですね。
言葉でも、標準語だけだったら面白くないですよね。日本語でも、アナウンサーが話すようなきれいな標準語である必要はないと思っているんです。少し訛っていた方がいい。方言があるというのは、文化的に豊かでいいことなんだと僕は思うのです。

―― 佐藤
その点もやはり「生業の生態系」ですね。「生業」という点なのですが、非常時・災害時を含めたことに、何かきっかけはあったのですか?

―― 三井所さん
福島県庁からの依頼で、東日本大震災後の復興住宅をつくるコンペの審査委員長を務めました。いろいろと考えて、製材所まで含めた「山の人」と「設計者」と「工務店」、この3種類の人がチームになって応募するという条件を設定しました。それで復興住宅をどう実現するかということと、自分たちはどの地域でならつくれるかということを提案してもらうことにしたのです。
材料の供給側と設計者と工務店と、初めて一体になって復興住宅をつくるということを福島県庁と一緒に考えて実行しましたが、これがとても有意義で成功につながりました。

―― 佐藤
「生業の生態系」の中に、非常時の部分が入ってきたということですね。
日常の風景から「地域性」や「生業の生態系」が元々見えていたところに、今度は山古志や福島の災害の景色から非常時を意識した「生業の生態系」が見えたと。
『フェーズフリー』のテーマである、日常時を豊かにしながら非常時にも役に立つという、その両方が成立することがあるという考えにつながった訳ですね。

―― 三井所さん
そうです。その文脈で、日本の環境問題において、植林・育林によって森林の循環系や持続可能性を維持することを目標にしながら地域の経済を活性化していくことと、『フェーズフリー』という日常を活性化、つまり「フェーズフリー」を実施していくために、建築がいま果たさなくてはいけないことを追究する。そのために建築士会に「木のまちづくり部会」を発足し取り組んでいるところです。

―― 佐藤
それは大切な循環ですね。

―― 三井所さん
中大規模の建築、公共建築は原則木造でつくらなくてはいけないという法律が近々改正されるようですが、林野庁の資料に理念が書いてあってそれが素晴らしいんです。

―― 佐藤
何と書かれているのですか?

―― 三井所さん
簡単に言うと、環境問題においては炭酸ガスを吸収し、炭素を固定する日本の森林を守るためには、山を維持していかなくてはいけない。維持するためには木材が建築に大いに使われなくてはいけない。使われるときには地域の経済、地域の産業が元気でなくてはいけない、と。

―― 佐藤
「生業の生態系の保全」そのものですね。

―― 三井所さん
そうそう(笑)。

コロナ禍を経験しどう変わるのか、『フェーズフリーアワード』に集まるアイデアに期待

三井所さんとの対談-3

三井所さんは『フェーズフリーアワード』に寄せられる多様なアイデアが楽しみと話して下さいました

―― 佐藤
建築とかまちづくりの視点で、三井所さんが『フェーズフリー』と感じるものはどのようなものがありますか?

―― 三井所さん
一つ挙げれば、「広場」が必要なんじゃないかと。みんなが集まるという意味の広場がね。
広場というのは具体的な広場と抽象的な広場があると思うんですよ。勉強会みたいな抽象的な広場だったり、お茶を飲んだりコーヒーを飲んだりするような具体的な広場だったり、または広い芝生の広場だったり、そんな広場があれば人は集まりますよね。

―― 佐藤
確かにそうですね。

―― 三井所さん
また普段から人が集まっていると、問題の話し合いがそこでできるわけです。そうすると非常時にすごく役立つと思うんですね。広場をつくってそこに集まるようにする。それがとても重要なんじゃないかと思っています。

―― 佐藤
『フェーズフリー住宅デザインコンペ』の際に、三井所さんがセミパブリック/セミプライベートというキーワードをおっしゃっていたのを思い出しました。

―― 三井所さん
そうそう。中間領域ね。中間領域にはパブリックに近い中間領域とプライベートに近い中間領域があって、同じ質ではないから分けて考えるといいんです。
パブリックでは、他人が比較的自由に出入りできる状況にいる。プライベートな空間は、あまり知らない人に侵されたくない。でも中間領域は人と一緒にそれこそ時間と場をシェアするわけですよね。それで何となく親しみのある、まあ濃度の差こそあれ、親しみのある関係ができていく。
例えば、通りの庇(ひさし)の下などはセミパブリックの中間領域ですよね。道を動いていると他人でしかありませんが、庇の下にいるともう関係ができている、関係性が生まれる。そういうのが抜けているんですよ、現代は。いろんな意味で、誰でも雨宿りができるような庇のある場所がなくなってしまっている。

―― 佐藤
そうですね。『フェーズフリー』をつなげて広げていくという意味でも、まさに「庇」のような役割とも言える『フェーズフリーアワード』が開催されますが、期待されることはありますか?

―― 三井所さん
コロナ禍を経験している現状から、どう変わるかということですよね、日常が。住宅の設計も変わるし集まり方、仕事の手段も変わるはずです。
私が考えていたのは、例えば玄関のこと。今は玄関といえば基本的に一つしかないんですよ。ところが昔は表の出入口と横や裏の出入口、勝手口とかいうのもあったりして。表玄関と勝手口、あるいはもっとあって普段はお客様しか入ってこないような玄関と家族の日常的な玄関と日常的な御用聞きが使うような玄関と、なんていうのがあったんです。
でも今はそうではないでしょう。玄関が複数になってくると、それは感染対策としてもすごく重要だと思うんですね。家族のうち誰かを隔離したときに、自宅待機用の個別の寝室が必要だし、そのためにはやっぱりもう一つ別の部屋やもう一つの洗面所やトイレ等が必要だということを、今回のコロナ禍でみんな感じたのではないかと。換気の設備の計画を含めて、住宅の設計が変わっていくだろうなと思いましたね、日常がね。

―― 佐藤
なるほど。今までと違うのは、コロナという大きなパンデミックを我々人類が経験した中で、コロナの時にしか役立たないとそれは残らないけれど、実はコロナの時に役立つものが日常時にも便利なものなんだ、住みやすいものになるんだ、といったアイデアが生まれてくるのではないかと。

―― 三井所さん
それは実は、元々あったんですよ。戦後の厳しい面積制限下で住宅復興を考えたときから、消えてしまったんです。消えてしまったものを復活できないまま、我々は不自由な生活を日常でやってきた。戦災後の貧しさ、戦災の非常時の影響が、現在まで続いている。

―― 佐藤
本当の意味での日常になっていないということなのですね。

―― 三井所さん
我々が日常と思っているものが実は日常ではなくて、元々の建築の様式、表玄関と勝手口があったりというような、生活のしやすさみたいなものをもう一度見直してみることも重要ですね。
原点回帰というか地域性というか、身のまわりの「生業の生態系」を見つめ直すことかも知れません。

―― 佐藤
確かにそうですね。『フェーズフリーアワード』がさらに楽しみになりました。ありがとうございます!

三井所さんとの対談-4

対談を終え笑顔でエア握手を交わす三井所さんと佐藤

この記事をシェア