非常時の本当の安心とは、そばに誰かがいてくれること

前仙台市長
仙台みどりと風の会 会長

奥山 恵美子さん

フェーズフリー協会代表理事の佐藤唯行(以下:佐藤)と、フェーズフリーアワードの審査委員を務める、前仙台市長で仙台みどりと風の会 会長の奥山恵美子さん(以下:奥山さん)による『フェーズフリー』に関する対談が行われました。元市長として行政・地方自治の視点から奥山さんが捉える『フェーズフリー』とは?

※対談はマスクを装着し行っておりますが、撮影用に一時外している場合がございます。

写真・文:西原 真志

奥山さんとの対談-1

フェーズフリー協会の会議室で対談を行う奥山恵美子さん(左)と佐藤

『フェーズフリー』の良さは、日常時と非常時をつなぐこと

―― 佐藤
奥山さんと初めてお会いした際の印象は、いわゆる政治家というイメージというよりも、すごく話しやすくて、またとても見識の広い方だなということでした。

―― 奥山さん
いわゆる政治家タイプの人とは私もたくさんお付き合いしてきました。自分で思うに、私は政治家としては本物じゃないんですね。やっぱり臨時にちょっと政治家になってまた戻ってきたみたいな感じで(笑)。

―― 佐藤
奥山さんが仙台市長に就任して1年半後に東日本大震災が発生するという大きな出来事がありました。その経験をされた奥山さんが、今も災害を繰り返す世界の状況の出口をどのように考えているのか知りたいのですが。

―― 奥山さん
人命救助や立派な避難所をつくることはもちろん重要ですが、行政の本当の使命はそれだけでないと思っています。行政の最も重要な役割は、一日でも早く日常の生活に戻すことなんですね。

―― 佐藤
おっしゃる通りです。

―― 奥山さん
人間って最終的に何が安心かというと、自分の隣にいてくれる誰かがいるという感覚なのではないかと私は思っているんです。
これから先も災害は発生しますし、生活が脅かされることだってあるでしょう。そういう時に人を物理的に安心させるために防波堤とかワクチンとかさまざまありますけど、それはそれで考えていくとして、やっぱり人にとっての安心というのは信頼できる人が近くにいるという、これしかない。だから非常時の状況にどうしたら耐えられるかといったら一緒に耐えている人がいる、それしかないのではないかなと。

―― 佐藤
奥山さんはずっと行政に携わられていて、もしかしたら失礼な発言になるかもしれませんが、行政だけでやっていく防災の限界というものを感じることはありますでしょうか。
みんなで防災に取り組んでいく中で、どうしたら民間がビジネスとしてそこに参加できるのかということを、私なりに考え続けた結果がこの『フェーズフリー』でした。その意味で、みんなでつくり上げていく安心・安全な社会において、そこに一つの考え方として『フェーズフリー』が存在するというのは、奥山さんのご専門の行政という視点からみてどんな可能性があると思いますか?

―― 奥山さん
『フェーズフリー』という言葉を耳にして、私はカタカナ語があまり好きではないのですが(笑)素晴らしい概念だと思いました。
何よりも素晴らしいと思ったことは、日常時と非常時をつなぐということで、そこに断絶があるということではないとハッキリと示していること。災害が発生した際に実際に行政がすべきことというのは、先ほども話しましたが非常時に対応するのではなくて、いかに非常時を1日1分でもはやく日常化するかということなんです。

―― 佐藤
なるほど、非常時を日常化していく。

―― 奥山さん
はい。つまり「当たり前を取り戻す」ということが災害復興ということなんです。ところが「当たり前を取り戻す」は「当たり前」であるはずなのに、あまりにも被害が大きかったりすると国とか支援に来てくださっている方も含めて「当たり前を取り戻す」ということが感覚的にすぐは出てこなくて、非常時に非常時が対してしまうことが起こり、「支援」というスペシャリストがそこに入ってくる。
住民の人は普通の生活者なので、その方々が被支援者になってしまって、支援者のプロと被支援者みたいに、これは極端に言っているのですがそのような構図が生まれてしまう。

―― 佐藤
確かにそうですね。

―― 奥山さん
私たち自治体がしなければならないことは、当たり前におじいちゃんおばあちゃんがたくさんうようよいる街の普通を取り戻すこと。『フェーズフリー』の日常時と非常時の境目を無くしてゆくという考え方は、心の持ちようも含めてすごく大事なことを的確に包み込んだ概念でやってらっしゃるなということを感じて、それはとても新しいことだし、大切なことを押さえてらっしゃるんじゃないかと。このことがもうちょっと深い意味で浸透していけばいいなあと思いました。

日常時に育まれたつながりが、非常時の真の安心になる

奥山さんとの対談-2

「非常時の本当の安心とは、信頼できる誰かがそばにいること」と話す奥山さん

―― 佐藤
私も仕事柄「災害時に強いコミュニティとは?」という質問を多く受けるのですが、その問いに対して奥山さんはどんなお考えをお持ちですか?

―― 奥山さん
災害時に強いコミュニティというのは、基本的にはコミュニティの本質的な能力が高いということです。コミュニティの本質とは何かというと、課題を共有して連携して解決するという能力です。

―― 佐藤
東日本大震災の際はいかがでしたか?

―― 奥山さん
仙台に限って言いますと、およそ100万の市民がいて残念ながら被災して亡くなってしまった方が約千名でした。仙台は中心市街地の被害が比較的少なく、街としてのダメージが他に比べれば低く、日常を取り戻していくための行動を起こせる人がたくさんいました。

―― 佐藤
なるほど。その人的なリソースがあったから、比較的みんなの力で仙台を日常に戻していくということがやりやすかった部分があると。
仙台は日常を取り戻すための活動をみんなでやってきたとのことですが、『フェーズフリー』もみんなでつくり上げていくということを重要なテーマにして活動しています。いま奥山さんがおっしゃってくださいましたが、色んな社会課題をみんなで解決してつくり上げていくときに重要なこととは何でしょうか?

―― 奥山さん
そうですね。やはりその都市が持っている歴史的な経過として、たとえ些細なことであっても自分たちで相談して何かを決めてやった経験があるという人がどのくらいいるかということではないでしょうか。それは町内会で集会所をつくるということでも、例えば道路をつくるときに役所の案というのが必ずありますけれどその案に対してここの小さな緑地を残したとか、昔からある木を残すために道路を曲げたとか、何でもいいのですけど。 単に受け入れられないという反対だけではなくて、こうしたらいいんじゃないか、ということを提案して話し合ってささやかでもそれをやった経験がある。そういう人が街にいるということが大事じゃないかと。

―― 佐藤
何か一つの目的に対して、それを街づくりだとか社会づくりだとかいう観点で関わってみるだとかの経験を持った人がいる、ということが重要だと。

―― 奥山さん
そう思いますね。というのは行政がやるようなことって、基本的に悪いことは提案しないんですが、それでも何か一つをやって子どものホームルームじゃないのでそれが100%賛同されるということは絶対ない訳なんです。どんなにいいことであっても。 どうせ役所が何とかするんだから言っても無駄だとか思うのではなくて、多少時間はかかっても自分たちで考えて対案を出すというか、粘り強さ、根気というか人間に対する信頼というか、そういうものを持っている人が100人の中に1人か2人でもいれば、街はやっていける。どんな震災の時でも、必ずやっていけると私は思っています。

―― 佐藤
すごくよく分かります。絶対的な解なんて存在しない。災害時にこれをやれば大丈夫ですよとか、ここに何を供給しておけば大丈夫ですよとか、そんなものはない。多様な人々がいて多様な要求がある中で、絶対的にこれという解はない。

―― 奥山さん
正しさだけでは解決にならないんですね。

―― 佐藤
さきほどの道路の問題とか、他にごみや子どもたちの見守りの問題だとかそういったところどころにおけるコミュニティの課題をみんなで共有できる、またそれをちゃんと共有して解決する能力というのが深ければ、それは災害が起きても基本的には強いですよということですね。
『フェーズフリー』なコミュニティというのも、普段からそういった地域の課題を解決していく経験を持っていることだと思っています。

―― 奥山さん
こういうのは経験しないとわからないので、体で覚えなきゃいけない。例えば古くから伝わるお祭りって、必ず小さいときから馴染んで、ある年齢になると役目を与えられて、その役目の中でこう上の人から教えられたりしながら自分も担い手になっていく。そんなお祭りの継承プロセスみたいなものには、いろんな知恵が入っているなと思います。 最近PTAも自由参加で、やりたくない人を選ぶのは良くないんじゃないかという論が出ていますが、私は反対です。何でも選択でやることですけれど、人間にとって一番大事なのは選択したくないけれどもやらなくてはいけないという、そうじゃないと覚えないということってあるんですよね。

―― 佐藤
そうですね。『フェーズフリー』の活動をしていると、今のPTAじゃないですが、例えば地域づくりのイベントに参加しないというか参加できない人というのが結構多くいて、その人たちにいかに参加してもらうのかというのが結構課題となっています。

―― 奥山さん
やっぱり人間が自発的にできることには限界があるんです。強いられてやったからこそ、新たな一歩を踏み出せたとか理解できたとか、さらにはあの人は初めてなんだから苦労してるよねと周りが見ているから周りも助けてくれるとか、いろいろなことが経験できるんですよね。だって、自分が分かってることで自分が本当にその通りにできるんだったら、自分が自分に説教すれば立派な人になれるはずです。私ももっと立派になれるはずで(笑)。

―― 佐藤
奥山さんのそういったところ、一つひとつにびっくりさせられるんです(笑)。40年以上にわたって行政を勤め上げてそのまま首長になられて、っていう感じがあまりしないというか。

―― 奥山さん
そうですか(笑)。結局のところ言いたいのは、さっきも申しました何かお祭りでもやりながら楽しく暮らしていく日常の訓練をして、そのお祭りをやっている日常の訓練の延長に何かアクシデントが起きたとしても、長いこと付き合ってきた仲間と一緒だから耐えられるかなあっていう、そのくらいのところで耐えていくしか本当の意味での安心はないのではないかと思うんです。

―― 佐藤
ふだんから寄り添って信頼できる人の存在というのが、実は日本あるいは世界の繰り返す災害というものに対する出口を見据えたときに大切なんですね。

―― 奥山さん
非常時を一人で支えようと思うのは人間として傲慢であって、非常時になればなるほど他者が必要になる。でも日常というのは今の文明の中では単独で生きられるかのような幻想を与えていると思うんです。

―― 佐藤
非常時になると、日常時以上に多くの人たちとの関わりが精神的にも肉体的にも必要だということ。災害時から必要を考えてみると、普段から人々の信頼関係とか人間関係を築いていくということ、そんな日常の豊かさを描くことが繰り返す災害に対する出口につながるんですね。

『フェーズフリー』の日常化を叶える『フェーズフリーアワード』

奥山さんとの対談-3

奥山さんは「『フェーズフリー』の日常化を期待している」と話して下さいました

―― 奥山さん
近年特に、格差社会になっています。格差の線をどこに引くかというのもありますけれど、本当に日々生活するので精一杯という人もたくさんいらっしゃる。そうすると解決しなくてはならない生活課題がありすぎて、防災はもちろん『フェーズフリー』にもなかなかたどり着かないと感じています。

―― 佐藤
『フェーズフリー』はまさに、高い脆弱性を有する人たちに向けた、つまり防災がなかなかできない人たちへの提案です。
『フェーズフリー』というのは、普段の生活で活用している商品・サービスあるいは知恵によって、災害時の命や生活を守っていこうという考え方なので、むしろ普段から日々の生活しか考えられない人に対しての提案になっていければいいのではないかと常々思ってるんです。

―― 奥山さん
素晴らしい!

―― 佐藤
そんなことを考えながら今回奥山さんに『フェーズフリーアワード』に参加していただいていますが、意義があるとしたらどんなところだと思いますか?

―― 奥山さん
『フェーズフリー』の考え方というのは、基本的に考えが分かればいいというのではなくて、それが日常生活に生かすためにはある程度こう商品として具体のものがないとイメージが湧かないし生かすという手段がありません。それを多種多様に揃えていくという意味では、『フェーズフリーアワード』のように新しいものを発掘していくことが欠かせないんじゃないかなと思うんです。
考え方を伝えればいいというのであれば印刷物をつくればいいんでしょうけれども、やはり商品化していくというところに一つの日常生活との接点があるので、それを考えると『フェーズフリーアワード』があることによって生まれてくるものって大きいんじゃないかなと思いますね。

―― 佐藤
その通りです。

―― 奥山さん
5年とか10年続けると、片方でアイデア部門もあるからアイデアで商品化されるものもあるでしょうし、一方で『フェーズフリーアワード』で出てきたものを見てさらに刺激されてそこから出てくるものもあると思うので、蓄積していくことも意味のあることではないでしょうか。

―― 佐藤
『フェーズフリー』ではそれを「触発生」と呼んでいますが、例えばこれを見て「ああこんなことができるんだったらうちの商品でこんなことできるよね」とか、「ああこんなアイデアがあるんだったらこんなこともできるよね」みたいな、いろんな人のアイデアだとか価値の連鎖みたいなものがつながっていく。 社会全体としてそんなアイデアが連結していけば、結果として繰り返す災害という光景を社会全体として解決していけるんじゃないだろうかと。今奥山さんがおっしゃった、「概念だけでなく具体を示すことによって人々がさらに発想していける」というところは、まさに『フェーズフリーアワード』の大きなテーマの一つとしています。

―― 奥山さん
楽しみ。(拍手)パチパチパチ。

―― 佐藤
最後に、『フェーズフリー』に今後期待することがあったら教えていただければと思います。

―― 奥山さん
『フェーズフリー』の日常化を期待します。
例えば日本人として暮らすときに、地震がないところに暮らす海外の人だったら絶対こういう風には考えないけれども、日本人はこういう風に暮らすんだよね、っていうそういうものの根本に『フェーズフリー』がなる。日本人自体はずっとそのように暮らしているので、とりたててそれをおかしいと思ったこともないんだけど、海外に留学してみたら「あら海外の人ってこういうこと考えてないのね」と分かったとかね。そういう風になるのが『フェーズフリー』の日常化ということかな、ってイメージしています。
楽しい、嬉しい、おトクだ、とか日常の私たちがつながっていけることが実は『フェーズフリー』と言えるのではないかと思っているんです。

―― 佐藤
なるほど! ありがとうございます。

奥山さんとの対談-4

対談を終え笑顔でエア握手を交わす奥山さんと佐藤

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