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前回の記事では、バリアフリー、フェアトレード、エコといった考え方がどのように“課題から人々をフリーにしてきたか”をお伝えしました。私たちの暮らしの大きな課題である「災害」からフリーになれるとしたら、世の中はどのように変わるでしょうか。

「災害」からのフリーってなんだろう?

昔もいまも日本ではさまざまな災害が発生しつづけています。大きな災害の発生直後には社会的な防災意識が高まるものの、時間の経過とともにその意識が薄れてしまい、同じような悲劇が繰り返されつづけています。

もし“「災害」に対するフリー”があったなら、この悲しい繰り返しから解放される(フリーになれる)のではないでしょうか。

繰り返される災害が想像できない、だから“備える防災”は難しい

なぜ災害による悲劇が繰り返されてしまうのでしょうか。それは日常生活において、災害時に自分のまわりでどんなことが起こるのかイメージしにくいからかもしれません。

たとえば「コロナ疲れ」という言葉が象徴するように、常に備えを強いられる生活に心身の負担を感じる面があるのは確かです。この言葉が生まれたのは感染症の世界的な流行のただ中。そのような状況にある時でさえ、備えることがいかに難しいかの表れだといえるでしょう。

まして防災意識が薄れている日常生活のなかでは、災害時に自分のまわりでどんなことが起きるか想像することさえできないはずです。だから“備える防災”は難しいのではないでしょうか。

「日常時」と「非常時」という2つのフェ―ズからフリーになってみる

そこで私たちは発想を変えてみることにしました。いつもの暮らしがある「日常時」と、災害が起きた「非常時」という2つの時間「フェーズ」について、分けることをやめてみたのです。

これはどういうことかというと、たとえば非常食のように“災害時にだけ食べる”もののことを考えるのをやめるということです。それと同時に“日常時だけ食べる”ものを考えることもやめてみようという発想です。

日常時においしく食べることができて、非常時もいつもと変わらずおいしく食べられるものにはどんなものがあるか。そういう発想で考えることで、「日常時」と「非常時」を分けることなく2つのフェーズからフリーになれるのではないでしょうか。

「日常時」と「非常時」を分けることをやめると必要になるものとは?

「日常時」と「非常時」を分けることをやめると、私たちに必要になるのは防災のための特別なコトやモノではありません。「日常時」も「非常時」も活用できる商品やサービス、そしてそれらを生み出すアイデアです。

私たちは、その考え方や取り組みを「フェーズフリー」と名付けました。

ふだん身のまわりにあるモノやサービスが、「日常時」と「非常時」というフェーズからフリーになって、いつの間にか私たちの命や生活を守ってくれる。そういうフェーズフリーな世の中を、一緒につくってみませんか?