みんなで助かる『フェーズフリー』を育て発信していく

防災アナウンサー/環境省アンバサダー

奥村 奈津美さん

2024年に開催される第4回目となるフェーズフリーアワードで審査委員を務める奥村奈津美さん(以下:奥村さん)と、フェーズフリー協会代表理事の佐藤唯行(以下:佐藤)による対談がおこなわれました。防災アナウンサーや環境省アンバサダーとして幅広く活動する奥村さんの取り組みや、『フェーズフリー』への想いなどについて伺いました。
(2024.7 実施)

写真・文:西原 真志

奥村さんとの対談-1

防災アナウンサー/環境省アンバサダーなど幅広く活動する奥村奈津美さん

被災者としての体験から、防災アナウンサーの道へ

―― 佐藤
奥村さんは「防災」と「アナウンサー」という2つを合わせたユニークな活動をしていますが、元々アナウンサーを目指していたのですか?

―― 奥村さん
大学時代にアナウンサーを目指しました。アナウンサーに憧れていたというよりも、大学時代に旅行雑誌やファッション誌などで、全国を旅する読者レポーターをやっていたんですね。その時にいろんな場所で取材するということを体験したのですが、取材するってすごく面白い仕事なんだと感じたことが原点ですね。

―― 佐藤
いろんなところを取材したい、見てみたいという、そんな好奇心が強かったのですね。

―― 奥村さん
そうです。まさにもう、好奇心の塊です(笑)。知らないことを知りたいし、行ったことのない場所にも行きたい。自分の目で見て確かめたいという、願望と欲望がすごく強いんですね。

―― 佐藤
アナウンサーという仕事の場合、取材対象を深掘りして知りつつ、さらにはそれを誰かに伝えていくという、ある意味で特殊な職種ですよね。

―― 奥村さん
自分というよりも、取材する相手があって、その情報を伝える先があってという感じで、社会に何かを伝えていくことの面白さを感じていますね。好きな言葉に「アイデアは移動距離に比例する」があるのですが、現地に行く、その場の方々に触れて直に話を聞き、それを自分というフィルターを通して伝えていく、といったことをとても大切にしています。

―― 佐藤
そういった活動のなかで、奥村さんはなぜ「防災」や「災害」に特化していくことになるのですか?

―― 奥村さん
私自身が、東日本大震災で被災したことが大きいですね。仙台の放送局のアナウンサーだったのですが、その日の午前中に沿岸部にある畑に取材に行って野菜を収穫して、いったん自宅に戻ったんですね。撮影用に野菜を台所で調理している時に地震が発生したんです。もし午前中に発生していたら津波にのまれていたでしょうし、自宅でもオーブンレンジが飛んできたり、本当に自分はもう死ぬのだと思いました。それが初めて死の恐怖を感じた瞬間でした。

―― 佐藤
防災や災害に携わる入口は多様ですが、奥村さんの場合はまさに当事者として災害に巻き込まれたことが原点になって、防災や災害に向き合うようになったのですね。

―― 奥村さん
はい。その後に津波が来て、地獄のような光景を目の当たりにすることになります。私は報道なので本来であればその人たちの命を救う災害報道をするべきなのですが、放送局の非常用電源がうまく起動しなくて、一時的に電波すら飛ばせなくなってしまったんですね。また、停電しているのでテレビを見られる人もいなかったと思うんです。だから私はいったい何のために、何をやっているのだろうかと……。もう無力感しかなくて、そこからあんまり記憶が鮮明ではないんですけど、泣きながら映像を編集したり、何かできることはないかと自問自答したりしながらずっと仕事をしていたなっていう感じですね。

奥村さんとの対談-2

奥村さんとの対談はフェーズフリー協会でおこなわれました

キーワードは、"みんなで助かる"ということ

―― 佐藤
13年を経て振り返ってみて、今の自分の関わり方だったら他に何かできたのではないかとか、変えられたのではないかと感じることはありますか?

―― 奥村さん
ありますね。本当に微力なんですけれど、私が発信したことに実際に取り組んでくださっている方々がいらっしゃるんです。例えば、家具を固定してくれたりとか、停電対策で事前準備してくれたり、津波警報が出たときに逃げてくれたりとか。発信した情報を受けてそういった行動をしてくれた人に、この13年で何人も出会えているので無駄ではないとは思っています。ただ微力すぎるので、もっと多くの人に取り組んでほしいと、ずっと模索し続けています。

―― 佐藤
防災アナウンサーとしての情報発信が、少なからず役に立っている手応えが出てきているのですね。

―― 奥村さん
はい。ゼロではないです。以前、北海道で停電が起きたときに、すごく寒い季節で小さなお子さんや高齢者もいるご家庭だったのですが、「こんな対策しておいてください」という私の発信を実際に取り入れてくださっていたんです。それで「奥村さんの発信を見て備えたから、安心して停電している中でも過ごせました」という言葉をいただけて、無駄ではなかったなって嬉しい瞬間でした。

―― 佐藤
本当に無駄ではないですよね。無駄ではないけれど、東日本大震災クラスの災害がまた発生したときに、どれだけ解決できるかというと微力だという感じですよね。

―― 奥村さん
そうです。南海トラフとか首都直下とか、100%の対策というのはないですよね。

―― 佐藤
そういった活動を積み重ねてこられて、今年の元日に能登半島地震が発生しました。その際は、奥村さんはどんな動きをとられていたのですか?

―― 奥村さん
まずはSNSで津波からの避難を訴え続けました。そして元日の夕方から数日間、TBSラジオに出演して対策を発信し続けました。停電時の対応とか、トイレとか、違う地域への避難とか、さまざまな選択肢を被災された方に届けたい一心で無我夢中でした。二次被害や災害関連死を生まないために情報を発信し続けて、その後現地にも入りました。

―― 佐藤
現地ではどのような取り組みをされたのですか?

―― 奥村さん
個人的に、まずは現地に行くことに意味があると思っているんです。私が被災したときにも全国の方々が駆けつけてくださって、まずはそれが大きな励みになりました。孤独じゃないんだって、すごく勇気づけられたんですね。

―― 佐藤
自分の経験もあって、まずは一人ではないと思ってもらうことが重要だと。

―― 奥村さん
そうです。それから現地に入ったからこそ見えるニーズだったり、サポートできること、または見落とされている事柄だったりがダイレクトに把握できます。今回の能登半島地震では、発災1週間後から支援物資を届け、現地の状況を確認しました。福祉施設などで暮らす介護が必要なご高齢の方々が入浴できていない状況を知り、『テルマエ・ノト』というプロジェクト名の入浴支援を実施しました。断水した施設や入浴設備が壊れてしまった福祉施設で、訪問入浴車を活用して3ヶ月間でのべ800名ほどの方に入浴していただきました。

―― 佐藤
それは大切な取り組みですね。奥村さんは誰一人取り残さない防災というのを強く掲げていますが、そんな想いもあるのですか?

―― 奥村さん
ありますね。でも最近、その言葉を変えようと思っているんです。

―― 佐藤
どのような言葉になるのですか?

―― 奥村さん
「みんなで助かる防災」です。誰一人取り残さないというと、取り残されている人がいることが前提になっているのではないかと、障がいのある方に指摘されたことがありまして。

―― 佐藤
言葉は変わるけれど、基本的にどちらにもある想いは、みんなで助かっていないよねという、疑問のようなものでしょうか。

―― 奥村さん
そうですね。逃げてくださいっていくら報道で呼びかけても、自分では逃げられない方もいる。誰かがサポートしないと逃げられない人たちがいることを前提として、どうしたらその人たちも助かるかっていうことを考えたくて、このテーマを掲げました。

―― 佐藤
奥村さんがおっしゃっているそのテーマって、『フェーズフリー』と同じです。僕も災害という問題を解決するには、みんなが救われなきゃいけないと思っているんです。

―― 奥村さん
本当、一緒ですね。

―― 佐藤
みんなが救われなくてはいけないと考えたときに、備えられないということを前提とした安心・安全な社会づくりが不可欠だと思ったんです。それが『フェーズフリー』の始まりでした。

奥村さんとの対談-3

防災アナウンサーになるストーリーや東日本大震災の被災体験などをお話しいただきました

身のまわりにあるたくさんの『フェーズフリー』を見つけていきたい

―― 奥村さん
私も、意識しなくても社会が備えられている状態にあれば、誰も死なないということを思いました。

―― 佐藤
そうそう、誰かが備えるのではなく、社会が非常時に対しても自然と備わっている。そしてそれが社会に根付くことが、「みんなで助かる防災」になっていく気がするんですよね。そもそも奥村さんは、僕と出会う前から『フェーズフリー』という言葉を発信してくださっていましたが、何か共通性のようなものを感じていたのでしょうか?

―― 奥村さん
どこでどう『フェーズフリー』という言葉に出会ったのかはまったく記憶にないのですが……。ただすごいと思って、世の中に広まれって思った。やっぱり災害が起きてからでは手遅れで、起きる前にやっておくことが大切で、それと同時に重要なのが、ふだん慣れていないことは災害時には使えないしできないということで。そういった実感のようなものが、『フェーズフリー』という言葉にマッチしたんですね。

―― 佐藤
ふだんの脆弱性を小さくしておくという発想に行き着いているのが、私個人としてまず驚きでした。要はふだんというか、いつもが大事なんだよってきちんと発信してくださった。

―― 奥村さん
東日本大震災のときには、人災と呼べる災害も残念ながら発生してしまいました。その意味でふだんの衣食住や取り組みを考えることも大切ですが、人を育てるみたいなところも実はとても重要なのではないかと感じましたね。

―― 佐藤
そのとおりです。よくフェーズフリーな社会って何ですか? フェーズフリーな組織って何ですか? などと聞かれるのですが、『フェーズフリー』の定義は「ふだんの私たちの暮らしを良くしているものが、もしものときの私たちの生活や命を守れるようにデザインされている」ということです。つまり、ふだんの私たちの暮らしを軸足にしているわけですが、それが非常時についでに役に立つということです。その観点で人やコミュニティというものを考え育てていくことも重要ですよね。

―― 奥村さん
なるほど、そうですね。

―― 佐藤
奥村さんは自分で気づいて『フェーズフリー』を発信してくださいましたが、もっともっと世の中に浸透させていくにはどうしたらいいと思いますか?

―― 奥村さん
防災という印象が強く前面に出てしまっているのが現状だと思います。メディアもその方が取り上げやすいのかもしれませんが、佐藤さんが今おっしゃった、いつもをちゃんと豊かにしてくれて、さらにもしものときに役立つという『フェーズフリー』らしさを丁寧に伝えていく必要があるのでしょうね。

―― 佐藤
そうなんです。

―― 奥村さん
例えばフェーズフリーアワードでも、「気づいたらフェーズフリーだった賞」みたいなものがあっても面白いかもしれませんね。日常の視点で流行っているコトやモノ、サービスなどがあって、よくよく考えたら見方や使い方によってはそれらが災害時にも役立てられるという発見があるといいですよね。そんな情報交換をしていくことで、仲間も広がっていきそう。

―― 佐藤
「気づいたらフェーズフリーだった賞」みたいな取り組み、本当にやりたいです。それ自体は『フェーズフリー』ではないかもしれないけれど、『フェーズフリー』な使い方ができる、それで『フェーズフリー』な暮らしができるよねっていう。

―― 奥村さん
アプリの「LINE」とか、まさにそんな存在だと思います。ふだんのコミュニケーションも円滑にしてくれるし、災害が発生した際でも例えば既読になればまずは安否確認ができる。それくらいいつも使っていて、もしものときにも役立つものがいいですよね。最近はそういったものをたくさん発見したいと思って生活しています。

―― 佐藤
同感です。

―― 奥村さん
新たに買わなきゃとか導入しなくてはみたいになると、『フェーズフリー』だとしてもハードルが上がってしまいます。既存でみんなが使っているもので、これってフェーズフリーだね! と発見できたらいいですよね。

―― 佐藤
そういったものを一緒に発見して、一緒に発信していってくださるととても嬉しいです。

―― 奥村さん
もちろんです!

―― 佐藤
『フェーズフリー』の発信も、フェーズフリーアワードの審査委員も、これからよろしくお願いします。本日はありがとうございました。

―― 奥村さん
こちらこそお願いします。ありがとうございました!

奥村さんとの対談-4

対談を終え笑顔で握手を交わす奥村さん(左)と佐藤

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